父に介護が必要になった!介護保険申請➡判定を経て、認定は『要支援2』。

離れて暮らす父の介護

父に介護が必要になるとは、想像していなかった。というより信じたくなかったのかもしれない。

父はもともと、とてもアクティブな人で、定年後はシニアスキークラブに所属し、冬はスキー場のある土地に出かけて老後をエンジョイしていた。

 

77歳のころ、嘔吐がとまらないとSOSがあり、ワタシが病院へ連れて行ったことがあった。
結果は硬膜下血腫。
スキーリフトのバーに頭を強く打ち付けたことが原因らしい。

 

しかしもう高齢だったため、頭に穴をあけて血を外へ出す処置はやめて、このまま様子見ていきましょうという診断となった。ただ、認知症状が早く出てくるかもしれないとのことで、心配はしていた。

 

硬膜下血腫発症から数年が経ち、認知症状が出てくるようになった。

ワタシ
ワタシ

認知症に気が付いたエピソードはこちらだよ。

しっかりしていた父の姿から、認知症を信じたくない現状もあり、どうしたらよいのかわからず、訪問看護に携わっている親友に相談してみると、

「介護認定を受けて、介護保険を利用して、お父さんを助けてあげて」

とのアドバイスを受けた。

 

介護認定、介護保険、どうやって手続きをしたか?

まずは、役所の 地域包括支援センター(引用:みんなの介護)へ連絡してみる。そこで父の状況を相談し、介護申請にかかる手続きをすることになった。

 

ワタシ
ワタシ

介護には申請が必要で、すぐ申し込んで、ヘルパーさんなど手配できるわけではない。

介護のタイミングは突然やってくるものだと実感した。

インターネットからたくさんの情報をもらい、一つ一つ段階を踏んで進んだ。

 

 

説明さん@Loose Drawing
説明さん@Loose Drawing

申請時に大切なことは、まず病院へ受診し主治医意見書を書いてもらうこと。

病院では、確か長谷川式認知症スケールをもとに、認知症のテストを受け、脳のCTも撮った。

この時のお話は別の記事で紹介します!

 

役所の地域包括支援センターへ出向き、介護を受けるための申請手続きをした。
介護保険証と主治医意見書の準備を忘れずに。
介護認定を受けるため、介護判定者とのアポイントを取った。
父は連絡を忘れてしまうため、ワタシの携帯番号を連絡先とし、介護判定員からのアポイント連絡を待つことにした。2週間後にワタシの都合が合い、ワタシが立ち合い、父の当時の介護度合いを検査してもらった。
ワタシ
ワタシ

介護判定に家族の立ち合いは絶対ではなかったけれど、父が張り切ってしまい、普段出来ないことを『できる』と言ってしまうと、現実とかけ離れた認定をされてしまうのでは?と心配で立ち会わせてもらうことにした。

これは正解だった。判定員の前では、ハッスルじいさんになって、3割増しで元気な老人となっていた。判定員には現実を箇条書きにして紙に書いて渡しておいた

 

介護判定では何を聞かれたか?

はっきり覚えていないのが、残念なのだけれど、普段の生活でどこまで何ができるかを質問されていた。

  • 今日の日にち・時間・曜日
  • 何時に起きたか?ごはんは何時に何を食べた?
  • トイレは自立して出来ているか?
  • 立ち上がる時に補助なく立ち上がれるか?杖は必要か?身体機能の簡単な確認。
  • 普段の買い物、外出の手段は歩き?自動車?自転車?  などなど

 

父の場合、初めての認定時は、身体的な不都合はあまりなく、精神的な不安要素(認知症)の方が多かった。

介護認定では、身体障害の方が介護度が高いとみなされるため、認知機能の部分では期待するほど考慮されないとのこと。生活をする上で、どれだけお手間がかかるかという基準だから、記憶のあいまいさなどは、お手間がそれほどかからないと判断されるらしい。

 

 

父の介護度は?

その後、郵送で我が家に初介護認定通知が届いた。

父の介護度は 要支援2

そうだね、納得の判定でした。

 

申請と同時に、介護事業所とケアマネさんの決定

介護認定の手続きと同時進行で、地域の社会福祉協議会を紹介いただき、訪問看護と介護を携わっている事業所の利用申請もした。そこでケアマネさんが決定するのだが、我が家は問題があるケース(独居で介護が必要な父と、精神疾患の三女がいる共倒れの可能性がある家庭)だったので、ケアマネ資格を持つ事業所長さんが、父のケアマネ担当になってくれることとなった。

 

本当に出会う皆さんが助けてくれる感謝の日々で、つらい時を乗り越えた。

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