父が82歳で脳梗塞発症した時の話。様子がおかしいな?を見過ごさないこと。

離れて暮らす父の介護

父が82歳で脳梗塞を発症した時の話を思い出してみる。

  一人で暮らす父は、当時、要介護1

ワタシ
ワタシ
要介護1ってどんな状態? 意思の疎通が困難ではないが認知機能の低下がみられる(精神面)立ち上がりや歩く時に少し介助が必要(身体面)、介護のお手間が32分~50分以下。 
 

その時すでに短期記憶の定着が難しく、電話した後、受話器を置くと、誰と話していたかを覚えてないほど。どうやら本人も、すぐに忘れてしまうことを人に悟られるのが嫌なようで、その場ではうまく話しを合わそうとしてしまう。そのため、あいさつ程度のお付き合いの人には、認知症だと気が付かれないほど。   ある日、ワタシと電話をしていると、最初はいつも通りに話せるのだけど、だんだんと尻すぼみになるというか、ごにょごにょと終わる話し方で、最後が全く聞き取れない。日本語は最後の言葉が肝心なのに、それが聞き取れない。

 

冷蔵庫に食べるものが入ってい——-ごにょごにょ。。。

いるのか、いないのか 全くわからない。   おかしいな?と思ったので、当時のケアマネさんに連絡してみた。すぐにヘルパーさんが入る時間に様子を確認してもらうけれど、こんな調子でごにょごにょ言うこともあるから、気にする必要ないとのことだったので、ひとまず落ち着いて、5日後に実家に行くときに、様子を見てくることにした。  

おかしいな?と思った父の症状

5日後に実家へ行き、父の様子を見ると、

  • 話しているけれど、語尾が聞き取れない
  • お水を飲むと、片側の口から水が流れて出てしまう
  • 言いたいことが伝わりづらく、かなり怒りっぽい

これはやっぱりおかしいぞ?   すぐに総合病院へ電話をし、いつも受診している内科の看護師さんへ繋いでもらう。  

看護師さん
看護師さん
とにかく今すぐ連れてきて!見させてもらうから!

  すごく頼もしい強い言葉で、やっとちゃんと診てくれるんだ!とホッとしました。 ケアマネさんもヘルパーさんも、あまり深刻にとらえておらず、脳血管系の病気は迅速な対応が大切なはずだけど、病院受診へも勧められなかったので、本当のところ、とても心配でした。   すぐにMRIを緊急で撮影してもらい、脳外科の先生に画像を診てもらったところ、  

脳梗塞発症しています。5日前に症状が出ていたということだけど、あまり顕著に麻痺が出ていないように見えるのは、脳梗塞の場所が奇跡的でした。数ミリずれていたら、完全に言語障害と運動障害が出ていました。ラクナ梗塞という診断となります。高齢なので、手術することはせず、点滴をして治療します。ただ、左側の麻痺、歩行時に左足がうまく前に出ないとか、左手に力が入らないという症状は出ますが、リハビリ併用で頑張りましょう。

 

様子が何かおかしいという疑問が沸いたら、病院に連れていくべきだなと改めて思いました。ワタシの場合は、父と離れて暮らしているので、すぐにケアマネさんに相談し、ヘルパーさんにも様子を見にいってもらったけれど、やはり家族の見立てが確実なのかもしれないと感じました。初動は間違っていなかったけれど、遠距離介護のもどかしさも感じました。
 

 

1ヵ月の入院とリハビリ後の父の様子

ということで、1ヵ月の入院とリハビリで、退院することが出来ました。 このまま点滴を続けても、良くなるわけでもなく、現状のまま頑張って過ごしてくださいということでした。父が入院中は、他の人と関わることはなく、食事は運んでくれるけれど、声掛けをしてくれるわけでもない。リハビリ以外は、ベッドの上でずーーーっと寝て過ごしていたようです。   会話もなく、普段の生活の刺激もないので、どんどん認知症が進んでしまいました。きちんとした医療の提供はあるけれど、介護は別なんだなーとよくわかった出来事でした。  

退院時にベテラン看護師さんから指導されたことは、教科書の内容そのまま話している?と思うくらい、当時の父には厳しすぎて、たくさんの人の力を頼らなければ生活が出来ないような、理想ではあるけれど、全く現実的ではない生活プランでした。

 

ワタシ
ワタシ
「このプランは現実的ではなく、努力しても難しい」と、看護師さんに正直に話してみたところ、かなり不機嫌というか、感情的に怒られました。 医療人は健康を重視し生活の質を高める指導をし、介護する人は介護される本人が幸せを感じて楽しく暮らすことに重点を置くので、そもそもが似て非なるものなのだな~と感じた。

    というわけで、元通りの一人暮らしに戻るわけですが、気楽に暮らすと言えども、やはりお助けが必要な場面も増えてきて、どんどんとヘルパーさんの時間を増やしていきました。

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